上海南洋中学 wikipeida
(現在の様子)
中国近代最初の新式中高一貫校。1896年(清光緒22年)に創立。
学校が始まって以来、”南洋華僑”による支援で、西文図書館、西洋理化実験室、スポーツ館、赤レンガ教学楼などを持つ、上海では一番設備豪華な中高学校でもあります。
学校のもとは「知行合一」。歴代校友には各国大学校長、科学院士や政治家など百人以上記載されている。
中華人民共和国建国後、帰国華僑子弟を受け入れる学校ですが、近くに帰国華僑家庭の団地が建設されている。
教室の内構は木造なので、木造階段の足音は今でも、私の頭に響きます。
上海交通大学 wikpeia
(交通大学正門、校門の格式からも分かる、国立北京大学と同格。)
1896年に、清国南洋大臣盛宣懐が創立した中国最古の国立大学です。当初の名前は「南洋公学」。1930年代に現在の名前になった。北京大学の前身の「北洋大学堂(北洋大臣李鴻章が創立)」と並んで、中国トップクラスの大学です。日本で言えば、北京大学は東大、上海交通大学は東工大だ。
注:清華大学はアメリカ留学ための予備校から創立された大学で、北中國にしては、西洋式理工科大学の最高ランクでもあります。しかし、中国南北広いため、言葉や生活習慣も離れているため、南方の優秀な学生は大体上海の大学に志望している。
(上海交通大学医学院本校(旧St.John’s University))
上海交通大学医学院は三つの前身あります。
一つ:.1879年在上海クリスト教会が創立した最初の教会医科大学St.John’s University。1930年代に上海交通大学へ併入。
一つ:中国天主教が創立した中国最初の私立大学震旦大学医学部。。後復旦大学に改名された。中国一の私立総合大学です。
一つ:同済徳文医学堂:中国ードイツ教会が1918年創立した西洋医学院。
1985年、全国院校整理の時に、上の三つの医学院が合併し「上海第二医科大学」として独立しました。
1997年、上海第二医科大学がおよび上海交通大学医学院へ合流した。
私が所在のBioMedical Engieering(注)学部は上の写真左の赤レンガ建物です。中も木造です(W)、扉が重厚です。
私の指導教授はBME学部の学長のDr.Pan(Jiapu Pan, 米ウィスコンシン州立大学BME研究室のアフター・ドククター)
Dr.Panが帰国後は交通大学医学院へ、トンプキンス研究室及び国連Hope基金会の援助の元で、BME学部を創立した。私が所在している学科の授業は帰国博士や国連支援の外国人講師がほとんどでした。実験室に針一本もアメリカから運んで来たものでした。当時国連が中国に援助した2台のスーパーコンの一台が私所在の実験室が(QRS自動分析アルゴリズム(AI)開発ため)使っている(もう一台は清華大学に配置されている)。
米ウィスコンシン州立大学BME研究室
(University of Wisconsin-Madison)
トンプキンズ教授夫婦が創立した世界最初のBME研究室。IEEE BMW branchで発表した”Pan-Tompkins algorithm”はコンピューターを利用したQRS検出アルゴリズムを樹立したため、BMEの世界では大所的な存在です。
日本国立大学コンピューターサイエンス(前学部長)研究室 私と私的関係があるため名前を伏せます。
前学部長はアメリカ留学暦があって、シングルボードコンピューター分野に於いての著作が世界的大学のテキストに採用されておる。交通大学計算機科学学部と交流があったため、臨床心電図モニターなど医療機器用組み込みコンピューターの開発ため、私は訪問学者として1年ぐらい研究室に滞在した。
注:一応BMEは日本語では生体工学と訳すけど、日本以外の国はBME学科の内容は日本の大学の生体工学学科の授業内容と大分違います。その原因で僕の専門を日本で誤解してしまうことが多い。けれども、ゼロックスやコダックなどアメリカ系会社は分かっているようです。
日本の生体工学は医療機器の応用に関する技能を教えることが多く、専門学校のワンラック上の感じがあります。中国やアメリカの生体工学は理化工科学を医療に応用する研究分野で、例えば:人工臓器の材料研究、超音波やX線の開発、心電図、CTスキャンナーの開発(コンピューターアルゴリズム)、無損傷検査など。その研究を従事するには、基礎医学と理工科2つ学歴が必要です。
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